語学講座にかかわる人々

交際交流を進めるためには、それぞれの言語を学び、知ることが欠かせません。尼崎市国際交流協会では、各種交流支援事業に加えて語学力を高めるための外国語講座や外国人向け「日本語講座」を開講しています。
 これら講座の講師、受講生へのインタビューと寄稿を通して、意見、感想を伺いました。
 また、FMあまがさきでの外国語放送をご紹介します。

ドイツ語講師インタビュー Deutsch lernen macht Spaβ!
ドイツ語講師 倉 まりこ
 ベルリン工科大学で外国人のためのドイツ語教授法専攻、言語学修士課程卒業。現在立命館大学講師。ドイツ在住12年。趣味はクラシック音楽。
聞き手:関 清人
倉 まりこ氏教室風景
―ドイツ語を学ぶことになったきっかけは?
 フランス語が専攻だったのですが、姉がドイツ語をやっていたことに影響されたことやクラシック音楽が好きだったことなどで渡独を決心し、ドイツ語にはまってしまいました。
―当協会のドイツ語講座講師を引き受けていただいた動機は?
 協会のボランティア翻訳・通訳にボランティア登録しましたところ、協会から講師の依頼がありました。大学では外国語が必修科目で、「仕方なくドイツ語」を履修している学生が多いように思います。それに比べ、協会のドイツ語講座は、「ドイツ語を学びたい」という方たちが積極的に受講されるということで、そういった方たちの「ドイツ語」を学びたいという動機・目的に大変関心があったためです。
―ドイツ語を身近に感じるためのアドバイスは?
 テレビ・新聞・インターネット・書籍等で日頃からドイツ語圏諸国の社会や文化に関心を持つこと。ドイツをはじめドイツ語圏諸国に関連する文化行事への参加や、ドイツ語母語者との交流を図ること。そしてドイツやオーストリアへ旅行し、日頃のドイツ語学習の成果を試すこと。
―ドイツ語学習者へのエールをお願いします。
 楽しく学ぶことが一番大切です。Deutsch lernen macht Spaβ!
日本語講座受講生インタビュー1 さらに上を目指して
趙 ■ (チョウ ピン) さん
(■=草かんむり、さんずい、平)
聞き手:大路 富美子

趙さん

―趙さんはAIAの日本語教室に通い始めてどれくらいですか。
 3年になります。
―趙さんはお仕事もされてますよね。この教室は水曜日の10時から11時30分までですが、水曜日はお仕事はお休みですか。
 いいえ、11時半に授業が終わるとすぐに仕事場へ直行します。そして夜8時まで勤務です。
―そんな過密なスケジュールでも休むことなく日本語の勉強を続け、何か変わりましたか。
 この教室に来るようになってからは、勉強がだんだん楽しくなり、さらに上手になりたいという意欲が湧いてきました。
―今後の目標を教えて下さい。
 日本で生活していくための情報を集めたり、自分や家族の身の安全を守るためだけでなく、専門的な仕事につくためにも、日本語の勉強を続けていきたいです。

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日本語講座受講生インタビュー2 いつか日本語検定試験を
加島 ウイモンさん
聞き手:吉武 武輝

加島さん

―27年間尼崎で生活なさって、日本語が随分お上手ですね。
 日本語は日本人の夫と結婚して日本に来てから初めて勉強しました。尼崎市国際交流協会の日本語教室で7年間マンツーマン方式で日本語を勉強してきました。今では原稿を読みながらですが、短い日本語スピーチができるようになりました。今は主婦業と子供の養育で十分に勉強する時間がとれませんが、いつか日本語検定試験を受けてみたいです。
―タイ料理も日本料理も大好きで、両方ともとても上手に作れると聞きました。
 たいていの日本料理は作れますし、おせち料理も作ります。タイ料理で皆様におすすめしたいのは、私の出身地チェンマイの郷土料理である豚バラ肉の煮込みピリ辛料理です。作り方はちょっと手が込んでいるのですが、機会があればぜひ日本で教えたいです。
―日本在住の間に、今後どのようなことをしてみたいとお考えですか?
 今は主婦として毎日の生活で手がいっぱいですが、主婦業から解放されたときの夢としては、茶道、生け花、着物の着付け、書道、折り紙などを身につけたいし、またボランティアとして公民館などで、タイ語教室、タイ文化の紹介、タイ舞踊、タイ料理などを教えてみたいです。

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英会話講師寄稿1 もう12年経ちました!
英会話講師 ジェームズ・スチュアート・ジョーンズ
 初級英会話2 担当講師、英国出身、市立学校外国語指導助手




ジョーンズ氏
英会話教室風景

 私が日本に始めてきたのは2002年の短い旅行の時でした。そのときは英国の友達と一緒に世界中を旅していたのですが、タイに2か月ほど滞在した後、日本の次にオーストラリアに行きました。実は日本訪問は私の友人の考えで、私はその当時、日本についてほとんど知りませんでした。ただ、村上春樹の英訳版小説や英国のテレビで放映されていたビートたけしの映画は楽しんでいたので、日本が私のイメージ通りの国か見てみたいとは思っていました。
 私たちは東京で1週間、大阪と広島で2,3日過ごし気に入りました。それはとても新鮮で、言葉が全くわからなかったこともあり大変謎めいているように思えました。けれども旅先で行き会う日本の人たちからはとても親切にされました。関西の人たちは格別人懐こくて面倒見がよく、印象深かったのでもう一度日本に戻ってきて長く滞在しようと決心しました。
 そして英国に帰ってから、日本の公立高校で1年間英語を教えるJETプログラムに応募し採用され、大阪の岸和田にやってきたのです。2004年のことでした。
 初めて日本に来たときは、難しいことがたくさんあると感じました。例えば、日本に対する私のイメージは、びっくりするような発明でいっぱいの未来的な場所というものだったので、勤務した校舎の古さに驚きました。
 日本語が読めなかったので、砂糖の代わりに塩、ミルクの代わりにヨーグルトを買ったりしました。私は日本のテレビはあまり好きではありませんでした。とりわけ金髪のかつらをかぶり偽の鼻つけたコメディアンたちが出演するバラエティー番組なのですが、彼らは外国人をからかっているのではないかと思ったのです。しかし私が日本語を覚え、彼らのジョークを理解しようとするにつれ私の中で変化が起こり始めたのです。
 私が知り合った日本の人たちは、自分のことはさておいて私を手助けしようとしてくれ、そしてその行為のひとつひとつがさりげなく親切だと思えるのです。何事も大げさに見えないようにする。とてもカッコイイと思います。
 自分は喜んで受け入れられているのだといつも感じさせられてきました。だから今でも私はここにいるのかもしれません。すでに12年近くも!

Nearly 12 years later!
James Stuart Jones
 I first came to Japan for a short trip in 2002. I was travelling around the world with a friend from the UK ? we had just spent 2 months in Thailand, and our next stop after Japan was Australia. Actually, coming here was my friend’s idea - I really didn’t know much about Japan at the time. However, I did enjoy Haruki Murakami’s novels (English translations), and Beat Takeshi’s movies that were shown on TV in the UK, and I wanted to see if Japan was anything like I imagined. We spent a week in Tokyo and a few days in Osaka and Hiroshima, and I loved it. It was very refreshing - everything seemed very mysterious to me as I couldn’t understand the language at all, but we were shown great kindness by many Japanese people we met randomly on our travels. The people in Kansai were especially friendly and helpful, and left a lasting impression on me, so I decided I wanted to come back and spend longer.
 After I returned to the UK I applied for the JET Programme to spend a year teaching English in a public high school and was accepted. so I moved to Kishiwada, Osaka Prefecture in 2004.

 When I first arrived, I found many things difficult about life in Japan. For example, I was surprised how old the public school I worked in was, as I had an image of Japan as a futuristic place full of amazing inventions! I couldn’t read any Japanese so I’d buy salt instead of sugar, drinking yogurt instead of milk and so on. I used to hate Japanese TV ? especially variety programmes where I saw comedians putting on blond wigs and fake noses and I thought they were making fun of foreigners. But things started to change for me when I began to enjoy learning the language and the challenge of understanding peoples’ jokes. I do find that many Japanese people I meet go out of their way to try to help me and do so in a way that every kind gesture is understated. Nothing ever seems too much trouble, which I think is very cool. I have always been made to feel very welcome, maybe that’s why I’m still here, nearly 12 years later!

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英会話講師寄稿2 日本での生活
英会話講師 マイケル・マッカーシン
 実践英会話2 担当講師、ニュージーランド出身、市立学校外国語指導助手

マッカーシン氏

大学を卒業した時、海外を旅したいと思って英語教師のコースに登録し、日本での仕事のオファーを受けました。日本語はできず、日本についてもよく知りませんでしたが、そこに住んでみようと決心しました。
 関東で日本の生活を始め、そこに6年間暮らしました。関東ではたくさん楽しいことがありましたが、満員の電車は楽しめませんでした。埼玉と東京を結ぶ電車は最悪でした。私はニュージーランド出身なので人ごみには慣れておらず、いまだにダメなのです。 8年前尼崎に来てからというもの、ラッシュアワーの満員電車とはサヨナラし、毎日自転車で通勤しているのですが、自転車に乗る人はもっと気を付けたほうがいいと思っています。
 日本の都会生活で楽しみの一つは、おいしいレストランや居酒屋が近くにあることです。食べ物はたいてい質が高いのに値段は安い。立ち飲みスタイルの居酒屋は格別安いし、人と知り合ういい方法でもあります。ニュージーランドでは外食は不便で高くつくのです。
 日本では戸惑うこともいくつかあります。クリスマスにKFCを食べること、シャツにおかしな英語が書いてあること、納豆、正月にATMが使えないこと、電車の中で隣の人が私の肩で居眠りすること、などですが、それ以上に好きなことがたくさんあります。温泉、安全、交通の便利さ、トイレ、お寺、花火などなど。だから日本を離れがたいのです。

My life in Japan
Michael McCashin
 When I graduated from University I decided I wanted to travel overseas so I enrolled in an English teaching course. During the course I got offered a job in Japan. I didn’t speak any Japanese and didn’t really know a lot about the country but decided to try living here.
 I started my Japanese life in Kanto and lived there for six years. I enjoyed a lot of things about Kanto life but I didn’t enjoy rush hour trains there. The trains between Saitama and Tokyo were especially bad. I come from New Zealand so I wasn’t used to crowded places and still don’t enjoy them today.
 I moved to Amagasaki about eight years ago and am lucky I’ve been able say goodbye to rush hour trains and can ride my bike to work every day but I think people should be more careful when they are riding their bikes.
 One thing I really enjoy about city life in Japan is that there are so many good restaurants and bars so nearby. The food is nearly always of a high quality and often quite cheap. Tachinomi style bars are especially cheap and a good way to meet people. Dining is less convenient in New Zealand and usually more expensive.
 There are a few things about Japan that confuse me (eating KFC at Christmas, strange English on clothes, natto, ATMs getting a holiday at New Year’s, people on trains sleeping on my shoulder) but there are many more that I really love (onsen, the safety, the convenience of public transport, THE TOILETS, temples, fireworks…) and that is why I am still here.

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FMあまがさき 日本語の泉

日本語原稿を推敲をする

 FMあまがさきは、毎週月曜日から土曜日までの午後7時から20分間、「あまがさきタウンガイド」という番組を放送しています。月曜日から中国語・韓国語・ポルトガル語・スペイン語・ベトナム語・英語で放送されます。外国人市民の皆さんに尼崎市の情報を提供するものです。この中に「日本語の泉」というコーナーがあり、原稿を協会員4人が交替で作成しています。日本語の表現、関西弁、日本の伝統行事、文化、習慣、季節の話題等をテーマとして取り上げ、外国語に翻訳しやすい文章かどうか、聴くだけで分かりやすい表現かどうかを心掛けています。担当者が書いた原稿は必ず全員でチェック、意見交換し完成させます。
 「また日本の伝統文化が廃れつつあると感じられるので、社会情勢などを織り交ぜながら日本の行事の紹介や尼崎にちなんだ話題などを取り上げて欲しい」と話すのは、尼崎えびす神社宮司の太田垣亘世さん。協会員であり放送原稿翻訳者兼パーソナリティーの一人です。外国人だけでなく外国語を勉強中の日本人も、是非「FMあまがさき」の「日本語の泉」に一度耳を傾けていただきたいものです。